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リクルート光洋工機から

光洋工機
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とにかく山に夢中です。

光洋工機 寺﨑 美恵子

 この2、3年は山登りに夢中です。富士山は9.5合目まで登りましたが、一緒に行った人が高山病になってしまって…。日本一低い山、天保山も行って写真も撮りましたよ(笑)。登ったら風景と三角点、標識の写真は必ず撮っています。最近は大山に行きました。登りたい山だらけで、予定がいっぱいあります。。
仕事は、お客さんに提出する製品の記録などです。手間がかかるのでみんな手が回らず、私が担当していましたが、最近では社員一人ひとりができるようになってきたように思いますが、みんなが忙しいときには私が引き受けています。みんなができるようになるのはとても良いことです。

「モノは見るだけではダメ」と教えています。

光洋工機 藤原 圭次

 大阪出身ですが京都、北海道、東京とあちこちに赴任して、今は横浜です。タクマさん時代、大阪にいた当時に光洋さんとはつき合いがあって、光洋の技術の人と一緒にやっていましたが、その方がいなくなったので「代わりに手伝ってほしい」と声をかけてもらい、顧問を務めることになったんです。
タクマ時代は私がこんなものが欲しいと指示を出していたんです。だから加工以外は光洋のスタッフよりよくわかっているつもりです。
光洋はもともと作るだけでしたが、お客さんの要望、需要に合わせてモノを決めていくような対応が求められています。例えばトラブルがあったとき、タクマの代わりにお客さんに説明したり調べたりと、メーカーの代行として点検・整備(アフターサービス)を担うことも必要になっています。実際に今、そんな要望に応えて工場や現場で整備などを任されることもあり、ソフト面での能力も育っています。 顧問としては、現場にいる人にも「現場では、モノだけ見るのではなくどんなふうに使われているかを見て知識を深めるように」とアドバイスしています。

光洋工機
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理解がまだまだです。

光洋工機 近藤 綾香

 もともとスーパー勤めていました。転職したきっかけは、CADをみて「おもしろそう」と興味が湧きました。光洋の面接を受け「よかったらうちで働きませんか」と声をかけてもらって入ったんです。CADの下地はあったつもりですが、やはり難しいですね。最初は図面をトレースして操作を覚えていきましたが、製品の図面も初めて見るので仕組みもわからず、理解するのにも時間がかかりました。
入社して1年経ち、二重ダンパやロータリーバルブなどに携わっています。電話での打ち合わせ、立会検査などお客さんの対応もしています。 理解が足りず、「この部分は、次から直して」と指摘を受けることもあります。だめな部分の理由をきちんと工場長に説明してもらえるなど、現場とのコミュニケーションはうまくいっています。 でも製品に対する理解がまだまだです。もっと勉強していきたいと思っています。

光洋でなければ!を早く確立したいですね。

光洋工機 大西 規仁

 タクマさん時代は、焼却プラントのまとめ役でした。お客さんである官公庁との折衝を担当していました。光洋に入るきっかけは、設計から製作、検査、納入までする一連の流れの仕事と聞いたからです。自分の関わった製品の一つひとつを確認して納入するという仕事をやりたいと思いました。
将来的には、光洋の技術がないとできないというものを確立したいですね。また、お客さんの技術的代行ができればいいと思います。「経験があるところをどこか知らないか」という相談があれば光洋が出向き、話を聞いて「こうしたらどうか」といった提案をすれば、「それなら光洋と一緒にやりましょう」という流れになるでしょう。ユーザーは皆小回りがきくメーカーを探しています。光洋は小回りがきくほうです。電話1本ですぐ行って話を聞き、一緒に現場に同行するなど動きがスムーズです。
つまり、よそにない光洋ならではの技術を確立するか、小回りのきく営業面の長所を伸ばして信頼される大手の代行的な存在になるか、その2つが未来の光洋像でしょうか。

光洋工機
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あえて若い人に苦言です。

光洋工機 岡井 政子

 平成3年、光洋が大阪市から加西市に移転した当時から勤めています。移転当初、機材搬入や、内装・電気工事の立ち会いでずっと一人で留守番をしていました。ですから多分、一番の古株です。
自分が社会に出た当時と比べ、今は仕事に対する姿勢が違うなと感じています。今の若い人たちは、制限されるならそれに見合った仕事をしとけばいいという感覚があると感じています。10分ほど刻みで残業を報告して「そんなんあり?」と。正直「ちんたらちんたらやらんと、ちゃんとして」と思うこともあります。昔は、正味しっかり残業をしていても、残業代の書類も出せないような雰囲気でした。1時間以上は残業できない規則だったし、残業していることは自慢にならない風潮がありましたから、実際に残業していても書類を出せませんでした。
今は、期限のある仕事などで、どうしても1時間なり残業しないと終わらないときがあります。光洋は、所長がきちんと認めてくれて残業代を見てもらえるので、昔と違ってありがたいなと思っています。

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これでも私、以前は製造部の若手ホープでした。

光洋工機 奥野 哲也

 「大手の歯車になり、流れ作業をするのはイヤ」と、是永へ入社しました。当時は製缶がメインの大東工場と、配管がメインの太子田工場に分かれいて、私は太子田工場、当初、若手のホープだったんですよ(笑)。6年間溶接を担当しました。
光洋工機に来て今、5年目です。製造部との大きな違いは光洋工機は動く機械を作っていること。以前の取引先はタクマさんだけでしたが、現在は環境事業部とのつながりで日立造船さん、川重さんからも次第に仕事をもらえるようになっています。
光洋工機の課題としては、低い利益率を改善すること。毎週社長が来社し、率先して営業会議、コストダウン委員会、製品の品質改善に取り組んでいる最中です。長年同じ製品を同じように作っていたので、コストダウンはこれまで手をつけてこなかったところ。社長や顧問も力を入れており、もっといろんな案が出てくると思います。難しい面もありますが、受注は増えており、利益が出る体質になるのではと思います。あとは人材の問題です。今の時代、なかなか人が来ませんから。若い元気のある人、ほしいですね。
この辺り、環境の仕事をしている会社は多いんです。私も当初「こんな山の中に、鉄工所があるとは驚いた」と言って、地元の人に「失礼な」と怒られました(笑)。

光洋工機

不器用ですが、達成感は感じてます。

光洋工機 笠井 哲也

(所長:もともと、面接を受けた1人が「もう1人知り合いが」と連れてきたのが笠井くん)
今は機械に関わり、溶接もしています。一つひとつの機械がどんな動きをして、どんな役割があってみたいな製品のことをまだ完全に理解できてないです。製品を組み立ててお客さんに納品するまで、一連の流れの中で考えることは多いです。不器用で事が遅いほうなので、周りの人についていってがんばろうとはしますが、なかなか難しいと感じています。(所長:そんなことない、ない。)
部品だけ作るのとは違い、光洋では作ったものが完成品になり、達成感があります。

まず人材、次に道具・設備ですよ。

光洋工機 黒田 保浩

 勤めて21年くらい、生産管理をメインに、スタッフの指導をしています。新しい製品に関してはみんな、わからない部分が多いですから。
光洋の仕事は、一貫生産をしていて最終製品ができあがるところが面白みです。モーターやシリンダーなどいろいろなモノが付いて動くような機械設備的なものができれば、もっとおもしろいのですけれどね。
仕事では、スタッフが同じ失敗をすると叱ります。失敗を忘れないようにメモでもとって、自分のものにしないといけない、とは言っています。単に言われるままにやっているだけなら、覚えられるわけがないんです。なぜこういうふうにしないといけないのか、自分の頭で考えないといけません。もっと生産に関わる人材がほしいですね。。“企業は人なり”ですから、それなりの人材がいて、その後に道具、設備というものがついてくる。人がいなければ、いくらいい設備を持っていてもね。いくら仕事が増えても製品は造ることが第一ですからね。

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